となりのPと肩を組め
こんばんわ。おまめPと申します。
魂がここ数日で西武池袋線からかえってきました。
といってもこちらに書くのは直近のシンデレラ6thというよりも、
もっと長い期間でアイマスについて気付いたことを酔っぱらいながら綴ります。
〇プロデューサーコミュニティは財産
わざわざ太字で書きましたが、ここで述べたいのはアイマスのユーザー、
同好の士、つまりプロデューサーですがいかに素敵なプロデューサーが
多いかということを声高にさけびたいかということです。(いつか絶対に書くぞ!
と意気込んで数か月経ちました・・・)
というのも、キッカケは約一か月前に参加しましたオフ会ならぬP飲み会です。
お恥ずかしながら筆者はP飲み会に一度も参加したことがなく、さらにはナマイキにも
ツイッターで「P飲みやりたい!」と気まぐれに呟いたところ、幸運にも数人の賛同者が集ってくださり(この時点でPはやさしい)、楽しい時間を過ごしました。
参加して思ったのが、同じものを好きということに関して情報量といいますか体感度が
予想をかなり上回っていました。
Pの集いであるため程度はどうあれ好きであることは前提ですが、SNSで文字の羅列としてアイマスへの愛をみるよりも、面と向かって直接語らうことのなんと体感度の高いことか。帰路につきながらしみじみと感じました。
まわりくどい表現をしましたが、つまり同じものを好きである安心感に近い嬉しさを肌に感じておぉ~となった次第です。
咀嚼して考えてみますと、この嬉しさはアイマスに対してPのエネルギーと直結していると思います。好きな表現ではありませんが、いわゆるコンテンツへのモチベーションなるものと同義であると思います。これを知ってか知らずかわかりませんが、筆者はSNSでの数少ない同好のPと現地でご挨拶する約束が毎度楽しみであります。さらに言えば現地で行われる名刺交換が大好きであります。
現状いろんなコンテンツがありますが、身の上に縛りがなく直接同好の士とのコミュニケーションの機会があるコンテンツはありそうでないと思います(小規模であれば各々が関わりあってる他現場もあるとは思いますが)
同じものが好き、という共通項目に加え同僚との名刺交換という行為を媒介にしてコミュニケーションがとれるというのは筆者個人としては大変ありがたいものだと感じております。
名刺交換から派生して言及すれば、名刺のデザインをあれこれ考えてる様子をツイッターでみるのが筆者はすごく好きです。言い換えますと、アイマスについて何か準備を整えてるPの様子をみるのがすごく好きです。この変な記事はプロデューサーは素敵!という表明も込めていますが、ここに理由があります。
というのも、リアルイベントだけに着目すれば当日の動向に目が向きがちですが、内実は当日を迎えるまでにすることのほうがはるかに多いです。
そもそも、アイマスが好きだとはいえ日常の合間をぬってコンテンツを楽しむ姿勢に脱帽です。社会人が比較的多いコンテンツですが、副業(本業)に疲れながらもアイマスを楽しむ姿勢に気合を感じますし、心から尊敬します。簡単なようにみえてすごく大変なことだと思います。当日への準備の話についてですが、キャストのかたへのプレゼントやファンレターを出されるP、セトリ予想をExcelにまとめツイッターにあげるP、コール表を自作してネットにあげたりカラーコピーして現地で配るPや、この曲にこの色を振ってほしいとケミカルライトを大量にくばるPに、ライブでの感動をイラストにするPなど枚挙にいとまがありませんが、Pのアイマスに対するエネルギーは並々ならぬものであると感じます。
上記に共通するのは「アイマス」に注ぐ時間、でしょうか。
お金の殴り合いで好きの定規にすることを筆者はあまり好みませんが、そのことを
考えてる時間が長いというのは、揺るがぬ”好き”の証拠であるように思えます。
少しばかり実例を挙げますと、ASについて色々な意見がTwitterで飛び交っていた事例などか適任でしょうか。筆者はシンデレラから入ったとはいえASがこの上なく好きですので寂しい気持ちになったのは事実です。
話を戻しますと、様々な意見があり文面では見る人によってはちょっと...と思われそうなものも含まれてるとはいえ、その意見はアイマスに長く付き合ってきたからゆえに内から湧き出てきたものであり、揺るがぬ「アイマス」が好きという形であるように思えます。
とにかく、たくさんのPがアイマスに真剣であり、その真剣なP同士でつながりを保てるこの現状が筆者は大好きであります。「となりのPと肩を組め」はそういった意味でつけました。
もし、、仮に、、こんな長文を読んでくださった方がいらっしゃいましたら、是非意見交換をさせていただきたく思います。ありがとうございました。
追記
筆者もアイマスに真剣なPの一人として考えますと、今のアイマスに必要なのはプロデューサーコミュニティを繋ぎとめるための環境作りであるような気がします。
「ここにいけばPがいっぱいいる!」といったネット空間を意識しています。
実は具体的な構想があり文面にしている最中なため、是非そちらにもご関心をいただけますと幸いです。
マジカルミライ2018、バーチャルキャスト体験レポ
こんばんわ。
本日はマジカルミライ2018に急遽参加してきましたのでせっかくのこともありレポをさせていただきます。
そもそもですが、自分は当初参加する予定もなく、マジカルミライそのものに対しても認識がほとんどありませんでした。が、朝起きてなんとなくニコ生をひらきますとVRの世界のキャラクターがニコ生配信をマジカルミライでやっているのが目につきました(厳密にはキャストさんは現地におらず本社の会議室で配信をつないでたのこと)。
そこで行っていたことにえらく目が惹かれ、少しの間視聴していました。恥ずかしながら自分は最近のVRコンテンツについての情報がほとんどなく、そこでおこなわれていたバーチャルの世界に文字や写真がふってきて、キャラクターがそれを仮想の世界で掴んだり投げたりしている風景をみて???となりました。実は自分、ちょうどVRビジネスの本を読んでいた最中であったのでそれの影響もありとてもとても興味をひかれた次第でありました。
これはすごいとひたすら感心していたところ、どうやらこの配信は幕張メッセで行われているマジカルミライ(名前だけしってた)の会場内ブースを生中継しているとのことがあり、「え、体験できるの?!」とさらに驚きなにげなく『よくわかんないけど行ってみようかな』とコメントを投稿したところ、キャラクターさん(あねえるさん)が反応してくださり、「いいよおいでよー!」とおっしゃるものですので、これは行くしかない!!と急遽幕張メッセに1000円かけて向かったというしだいです。
現地には14時ごろ到着しまして、早速VR体験ブースをさがしました。
幸いにもお目当ての場所はそうかからず見つかり、どうやら『バーチャルキャスト』というブース名であることがわかりました(後にポスターで会社名でもあることが発覚)。
(ニコ生で配信されてるものがブース前のディスプレイにも表示)
壁沿いに列が形成されてましたのでそれに従い、スマホで配信のほうをながめながらおとなしくしていました。
体験にあたって、
・二人一組
・どのペアも10分間
・体験する前に同意書の記入と動作の説明
となっていました。
自分はといいますと、急遽きた故おひとり様でしたので面識のないかたとペアをくませていただきました。
順番が直前になり、規定通りことを済まして説明書に目をとおしていますと、使用されているヘッドマウンテッドディスプレイの側面に「VIVE」の文字が。
読んでる本にでてきていたので、「お!知ってる知ってる!なんか環境条件あるけど精度いいやつみたいなことかいてあった!」となりましたので順番がくるまでブースの中をじろじろと覗かしていただきました。
本にかいてあったとおり、
・3×3mのスペース
・部屋の隅に設置されたプレイヤーの位置を検知するための装置
・プレイヤーがみている風景が映るディスプレイ
・あとスタッフさん(体験者が動きすぎないようにある程度制止するため)×3
でした。
そんなことをしている間にいよいよ出番!
VR体験なるものがはじめてでしたのですごいドキドキしました…。
スタッフさんにずうずうしく、「すみません!自分があそんでいるところをとってもらえませんか?」とお願いしましたところ快くお引き受けしてくださいました。
さあワクワクして装着!
一番はじめに目に飛び込んできたのはあねえるさん。
すごい!映像でみてたひとと同じ空間にいる!けど仮想空間!!
などとおもいながら始めは挨拶をさせていただきました。
「おまめPといいますー」と名乗ると、心優しい視聴者さん方が『おまめPさん』とコメントを投稿してくださり、名前がかかれたオブジェクトを拾い写真撮影(VR空間で)のために自分のそばに配置しました。
さすがは熟練のキャストさん。あねえるさんは手際よくフレームとなるオブジェクトをどこからかもってきて配置→拡大、とすばらしい手際でした。
こんな出来栄え。素晴らしい。
この画像はこれまた優しい視聴者さんがスクショをとりツイッターにあげてくれたものです。
そのあとはあねえるさんがまたどこからとなく用意したオブジェクトであそんだり、ふってきたものをつかんだりひろったりしながらおしゃべりしていると、あっという間に10分が過ぎてしまいました。。。
大変名残惜しかったですが、お別れをいいヘッドマウンテッドディスプレイを外し、丁寧に接してくれたスタッフさんたちにもお礼を述べ退出しました。
でてすぐにブース前のモニターの前にいき、スマホで『おまめPです。ありがとうございました』と投稿するとこれまた優しい視聴者の方々、『おまめさんお疲れ様ですー』と四人くらいのかたが返してくれました。嬉しい。これぞコミュニティの醍醐味。素敵。
いやあ、楽しかった。とても楽しかった。
さらっと言いましたが、降ってくるオブジェクトをつかんだりする作業、これは右手のコントローラーをつかって簡単にできました。オブジェクトの拡大縮小はつかんだ状態で左右にうごかすと調整できました。あねえるさんがぽんぽん投げていたので自分も真似しましたが、全然うまくいきませんでした。リリースのコツとかあるのだろうか。
「千本桜がモチーフのステージだよー。見てみてー」とのことだったので、見渡しましたが、これがすごい。床のポリゴンが荒かったのを除き、圧巻の圧巻でした。
そこには確かに距離感・奥行・高低差。””空間””なるのもがそこにはありありとしていました。
そして視界。こちらも明瞭でした。あねえるさんが説明書きのオブジェクトを提示してくれたのですが、この文字がちゃんと読める。すごい。スゴイ。
トラッキングについても申し分ありませんでした。いわゆる「VR酔い」はこのトラッキングの調子が悪く実際の動作とデバイス越しにみる視界との間にラグが生じるとおこりえるとのことですがなんのその。十二分に機能してくれました。
あとこれは気のせいの範疇をぬけませんが、オブジェクトであれなんであれ、自分の操作しているキャラになにかが触れると、感触のようなものをかんじました。(?)
(背が小さい。)
長々と書きましたが、たいへんたいへん充実した体験をさせていただきました。
これをタダでさせてくれるというのだから企業様につきましては感謝がつきません。
この度はじめてVRコンテンツにふれましたが、そこにはたしかにキャストさん、ステージ、コメントなどとデバイスがあるとはいえ”直接的な”ふれあいがありました。テクノロジーの恩恵をうけたサブカルチャーはここまできたのか、と時代に乗り遅れた感想ばかりでてきましたが、すばらしいものであることには変わりありません。
そこに素敵なこれからを感じえずにはいられませんでした。
VRコンテンツについてはまだ個人的に未開拓であり把握しきれていない部分が多大にあることは事実ですが、今日かかわることができたというのは大きなことだと自負しております。
これから先、テクノロジーの恩恵をうけたデバイスをもとに様々なものが生まれることは自明です。真っ先な受け皿が戦争ではなく、こういったサブカルチャーになることを願ってやみません。
時間のある方はぜひ足を運んでみてください。
株式会社インフィニットループさん、あねえるさん、ありがとうございました!!
放送中に誕生日をお祝いしていただきましたが、感無量で感謝に尽きません。
私事ですが、自分の誕生日はなぜか毎年家族がケンカしている、もしくは自分がおこられていたので正直なところ祝われたことがほぼ皆無であり、こういったふうに率直にお祝いしてくださったことが大変うれしかったです。コメントでも視聴者のかたが送ってくださり大変感謝です。かさねてありがとうございました!!どうぞコンテンツの繁栄を願っております!!
BEATLESS感想・考察
こんばんわ。
アニメの方のBEATLESSは9月から再スタートをきるとのことで大変楽しみではありますが、自分としましてはアマゾンprimeで何度も見直しつつ長谷先生のツイートに触発されて原作をよみはじめたところ、絶賛ドはまり中です…他のAIに関する書物と並行しながら読み漁っております…
本当は各話ごとにまとめて感想を書きたかったのですが、アニメを何度も見直しつつ原作をよむことでアニメ一周目で感じたことの変化や再発見があまりにも多かったので、気が済むまで現時点での感想を書きたく思います。同じBEATLESSが好きな方にとどくとうれしいです。
いろいろと感じることはありましたが、この作品にふれて深く考えさせられたのは何といっても「カタチ」、「道具」、「責任」です。
このことばは作中に何度も出てきましたが、出てくるたびに視点が広がっていくような感覚でした。
レイシアはアラトと接する際に何度か自分が道具であることを強調していますが、自分は簡単にほぅ…とはなりえませんでした。
ここに「カタチ」が加わることでより複雑になり、いろいろと考えましたがはっきりとした結論が出せていません。エリカがキティーちゃんのマグカップに関して発言する場面などがそれに該当しますが、道具における”用途”よりも”カタチ”が先行して所有者にとって意味がうまれるという点にハッとさせられました。
確かに道具はある事柄に対して用途があることが前提になりますが、同じ”用途”の道具が世の中にある以上別の項目によって付加価値が発生します。(際立って便利だとそれに価値がうまれますが、それに関してはそこまでいくと別カテゴリーになる)ここでの別の項目というのは作中でいうキティーちゃんというキャラクターです。自分はここでのキャラクター≒「カタチ」だとおもっています。この「カタチ」に拘るのは生身の人間特有であるとレイシアが言っていました。またエリカはモノの「カタチ」が人間から意味を見出されるのはモノ故に受け止めきれると発言してましたが、これはモノが抱える意味のキャパシティーを制限するものがなく、各々の人間の経験や思い出によって同じ「カタチ」であっても見出す意味の振れ幅に対応することができるためだと思います。この点を改めて認識しておくと人間とそれ以外の境界線があいまいになったときに区別の後押しができる要素になるのではとおもいます。
つぎに「責任」についてです。
アラトはレイシアという「道具」を使用することで、再三行動に伴う責任を負うことを要求されています。ですが、ここで問題なのがアラトという道具の”使用者”が道具の行いの全体像を把握しきれていないという点です。作中のアラト家のまわりをレイシアが変装して動きまわっていたり、裏でファンド経営をして経済活動に介入したりしている点がそれにあたります。「道具」と”使用者”がいる場合、当然のことながらその使用者に責任が降りかかります。包丁を手にした使用者がひとを刺すのに利用した際、責任を問われるのは当然のことながら包丁そのものでもなく包丁の作成者でもなく包丁の使用者です。包丁を手にして、相手に歩み寄り、刺す、といった一連の””自分の目の届く環境での犯行””です。しかしながらアラトとレイシアに関しては状況が違います。アラトが「こうしてほしい」と命令を出す前にアクションを起こしてしまっている(結果的には必要になっている?)点と、命令に対してのアクションがアラトという使用者の””自分の目の届く環境””を完全に逸脱しています。この場合、道具の使用者としての責任はどれほどまでの範疇におよぶのでしょうか。当然、アクセルとブレーキを間違えた、の類いの意図していないアクションとはわけが違います。それゆえ、これから先の未来に我々がAIなるもの(というよりインターネットや外部環境に接続している機器全般)と長く長く付き合っていく際に、必ず直面する問題になると考えます。
これらのことを意識すると、スマホであったりパソコンであったり、すでに普及している道具についての認識も今一度見直すべきであり、よりよい方向性につながるためにはどういった心持ちであるべきか再考すべきであると個人的には感じさせられました。
つらつらと書いてしまいましたが、「BEATLESS」はきたるべき未来に対して先行して我々に意識づけを促すばかりではなく、カタチ・道具・責任といった観点からこれまでの道筋を今一度見直させる大変深い作品であると声を大にして言いたく思います。
各話ごとにきづいた点も多くあるので、そちらは別途まとめたいとおもいます。
どうぞ「BEATLESS」の素晴らしらにふれた方々に届くことをねがってやみません。
リズと青い鳥のかんそう(ネタバレあり)
オタクなのですぐに文字でまとめたくなってごめんなさい。
とてもいいと感じた作品とえんかすると可能な限り100%の理解度に近づきたいオタクなので同じ作品にふれた方の感想を見るのが好きで
その一環として一オタクの感想として読んでほしいです。
まずはじめに、2回目の視聴で気づいたor気になったシーンです。
・希美が浄水器の水を飲んだ後、みぞれも同じことをするシーン
→ここ、希美が飲むシーンは全部収まってるのですが、みぞれがボタンに手をかけた瞬間でカットが変わっていました。恐らくですが、みぞれはこの後水を飲んでないと思います。というのも、みぞれは希美の行動をなぞることに意味がある(マネしたい、くらいの軽い気持ち)ので
という理由です。みぞれの行動には主体性というより希美に依るところが大きく占めることを冒頭で示すための一部分、といった個人的な認識です。
・部室にいく最中に外の階段を上るシーン
→こちらも先程との関連ですが、みぞれは希美の歩いたところになぞらえて歩いてるように見えました。(多分考えすぎですごめんなさい)
多分こんな感じです。
言い忘れてましたが、1回目に観た後の吟味の末、コンセプトというかサブテーマ的なものを充てがうとしたら何をつけるかということをむんむん考えてたのですが、思いついたのは「劣等感との向き合い方」です。2回目を観に行った理由はこれのあやふやな部分をもっと具体的にしたいと思って足を運びました。
さて本題ですが、あまり気持ちのいいことは書けません。すみません。
具体的にしたい、といいましたが、この作品の希美とみぞれを上手く言い充てがうぴったりの例えがぴぴんときました。
ずばり、「遠近法」です。
文字で表現するのは難しいですが、頑張ります。
はじめに、例えのための設定をつくります。
希美 みぞれ
|
| |
| |
この縦棒の長さは吹奏楽における文字通り実力度を表します。勘違いを生みそうな表し方ですが、わかりやすくしました。
1回目を観た後、どうしても上手く答えを出せなかった部分は「希美がみぞれの前を常に歩く理由」です。
作品の後半で、希美が"同じ大学に行けば、みぞれと同じになれる"との趣旨の発言をしましたが、注目すべきはまさにこの発言です。
後半は答えあわせのような発言がいくつかありましたが、大事な点は、"昔から上手かったもんね"の発言と、後輩が希美はうまいと話していたのを聞いて喜んでいる束の間に、みぞれの音が聴こえてハッとするシーンから希美はみぞれに対して楽器は違えど実力が劣っていることを自覚しています。(音大を先生に薦められなかったことを気にしている点も勿論含まれます)
ネックなのが、この実力差を希美は口に出さずともはっきりとした劣等感として抱えているに対し、みぞれは希美の側にいることが幸福なので精神的に距離を縮めようとします。
ここで先程の縦棒と遠近法を思い出して欲しいのですが、希美とみぞれの距離が離れると、
希美 みぞれ
| |
| |
となります。(実際にはみぞれの縦棒は短くなっていないのですが、希美がみぞれから離れることで少なくとも希美からはみぞれは同等に見えます)
これが今回の視聴で気づいた一番のポイントです。
希美がみぞれの前をキープしているのは物理的な距離に留まらず精神的な距離間も有している、といった結論です。
それ故、みぞれが近づけば近づくほど希美は普段誤魔化している実力差を痛感させられることになり、希美がそこでした行動はひたすらみぞれとの距離間を保つことでした。
そして結局のところ、第三楽章の演奏でみぞれは一気に希美との距離を詰めます。
気になった方も多いと思いますが、ふぐの部屋(おそらく生物室)には非常口がありました。
これも予想の範疇を抜けませんが、希美はみぞれから逃げようと思えば逃げられることを意味しているのでは?と考えました。お察しのとおり、一度吹奏楽部をやめているため、同じようにみぞれから逃げる手段もあったわけです。その選択肢をチラつかせるため、ハグのシーンでは視界に非常口をいれたのだと考えます。
その後のシーンでは、希美は左に、みぞれは右に。希美は大学受験の準備を、みぞれはオーボエの練習をしに行く場面がありました。
ここでは希美はみぞれとは別の土俵で競うことを明確に表す効果があったと感じられます。
そしてそして最後の最後に重要なシーンでしたが、というのも帰りに何を食べるか決めながら帰るシーンです。めちゃ重要。めちゃ重要。
希美はみぞれと並列であるいたり、前を歩いたりしています。そして、階段で立ち止まったシーン。
「みぞれのオーボエを支えるからね。だからちょっと、まっててね。」「待ってる」
このセリフです。
これは現状ではどう頑張っても希美はみぞれに勝てないということを自覚する覚悟を決めたシーンです。ポイントなのが、みぞれは希美の一段上ではなく四段上にいた点です。つまり、希美は背伸びをしたところで届くはずがなく、みぞれとの距離が有り有りとしています。
加えて重要なのが、みぞれの「待ってる」のセリフの意味です。
これは、今までは希美←みぞれで希美は距離を保とうとしました。
それをこれからは希美→みぞれの図式に移り変わることを含んでいると考えます。勿論近づくほど希美はみぞれとの差を痛感することになります。ですが、その劣等感を感じつつも少しづつみぞれに近づき、同等になるアクションを取ろうとしてる希美に対して、「待ってる」とみぞれはあったのだと思います。
以上となります。
こんなに長いのに読んでくださって大変嬉しく思います🙇♂️
あくまで一オタクの感想、考察として受け取ってもらえると幸いです。
※追記
公式のソースで、「希美はみぞれのことをわかっていない」との設定があることを伺いましたが、これは希美がみぞれに対して振り向かず、常に距離を保っていた故にみぞれのことを理解できていない部分があるのだと思います。